先日、娘の参加するミニバス(バスケット)の試合があった。ゴールを決めるたびに逆転…という行き詰まる展開の中で、ゴールからこぼれて得点にならなかった瞬間に考えたこと。例えば、その瞬間…神に祈ってボールがリングに入ることを祈っても、所謂物理の法則に従ってボールはリングの外にこぼれてしまったりするわけです。でも、時には…よく入ったなぁと思うような、奇跡的(?)なゴールもあって…。
これって…ひょっとして、神の悪戯なんじゃないかな?なんて思うこと、ありますよね。そんなことについて考えてみました。きっと、神様も世の中にある一つ一つの事柄に対していちいち考えて判断を下して結果を出していたら、それこそ忙しくて色んな部分に手が回らなくなってしまうから…自分が手を下さなくても、簡単にそして平等にジャッジ出きる仕組みとしてルールを(この場合は物理の法則)定めたんじゃないかな?って。
色々基準を設けて、場合分けをするのではめんどくさくなるので、そういった方法ではなくて、ある計算式に則って自ずと判断が下せる、基本的な原理原則。神様の作ったこのルールがしっかり機能しているから世界は動いているんでしょうし。
祈りや願い…基本的なルールに従ってしまうと、上手くいかないようなことを上手くいくように神に願うのは、実は神に自分の作ったルールを破れといっているようなものなのかもしれない。ですね(^-^)
それから、そんな風にルールを定めて、その分手の開いた神が…時折、気を利かせて奇跡とやらを起こしてみたり、悪戯をしてみたりしているのかしら?と、考えてみたり(笑)
…と、ココで終わると「神の作ったルールがうんぬん…」と、信仰っぽくなってしまいそうなので補足しておきますが(笑)言いたいことは、そんなことではなくて…
人の作るルールは、専門家でもなければ理解できないような複雑なもの、どうにでも解釈が変わってしまうもの、面倒な場合分けや特例や原則や…難しくって面倒だなぁって思います。全てのルールはシンプルに、そして過不足無く…で有って欲しいと願うところです。